2019年5月27日月曜日

ハワイ暮らし、日本の両親を思う・・・

昨年暮れから救急車で運ばれることが頻繁に起こるようになった母
血液検査の結果は良好で何も原因が見つからず

そしてとうとう脳卒中を起こして倒れ、
つまりを取り除く手術でクモ膜下出血を起こし、こん睡状態となり
検査の結果、3年ほど前に手術して取り替えた心臓の人工弁に細菌が繁殖しており
それが心臓のポンプ運動により全身にまわり、菌血症を起こしていること
それが脳へ飛び、脳卒中を起こしたことがわかりました

細菌を取り除く方法としては手術になるけれど、
心臓の手術を再びするには(何しろ肋骨を切除して行うので)高齢者には耐えられないだろうということで、
抗生物質を1ヶ月半投与していくことになりました

しかし体内に人工のものがあり、そこに菌が繁殖を始めた場合
なかなか効果が得られないそうで、
実際、母は集中治療室に入ってもう20日ほど経ちますが、
毎日38度を越える高熱を出し、解熱剤と氷で熱を下げている状態です

倒れて入院となったとき、家族は、海外に住む娘(私)に知らせるべきか、
どう知らせるべきか、悩んだそうです
最初は、「大事をとって入院した」とだけ聞かされていましたが
こん睡状態が続き、延命治療はしないと家族で決定を下した時に、「実は、倒れた」と知らされました

ハワイで私は仕事をしているし、繁忙期。
ぎりぎりの人数で仕事をしている職場のため、1人も休めない状態であるにもかかわらず
もう何も考えられず、わびて、飛んで帰りました

病院にいる母は、鼻から栄養をチューブで取り入れながら、
肩から心臓へ直接点滴と薬を注入しており、
心電図用のワイヤや、脈のワイヤ、尿管などがつながれていました

私とわかってうなずいてくれたので、回復してくれるのかと嬉しくて泣きましたが

毎日、高熱は出るし、手足はうまく排出されない水分が皮膚にたまり、ぷよぷよの水風船のように張ってしまっていて
手をなでてあげると、皮膚がうすくめくれて、水分がにじみでてくるありさまです

病院の先生が脳の断面図、心臓の動画を見せながら、時間の経過と検査結果を個別に話してくれました。

「また菌が脳へ飛んで脳梗塞を起こすと、もうダメと思ってください」と言われたものの
状態は落ち着いている(危篤ではない)
ということで

職場と約束をした日にハワイへ戻り、仕事を再開していますが
心配でしかたありません

仕事中は、考える暇が無く、正気でいられますが
帰宅の途につき、車に乗り、自分1人の空間にいるようになると、どっと涙が出ます。

私だけでなく、海外で暮らす皆様、同じく通る道と思いますし
海外在住者だけでなく、同じ日本でも遠くで暮らす方は、同じ経験をされることと思います
辛いですね
どうすればいいのか。。。

私の実家は同じく高齢の父が今は一人となり
隣の都道府県に暮らす姉が休みに父と病院の母を見舞い、
離れた都道府県に暮らす兄が、同じく休みに父と病院の母を見舞ってくれています

私が前回帰国したのは、この1ヶ月前の4月でした。

昨年暮れから何度か救急車で運ばれていると今年1月に知らされ
すぐに帰国したかったのですが、
仕事をぎりぎりの人数で回している職場のため、休みが取れるのが4月でした
やっと4月になり、帰国したとき、
母はすでに弱って食事を食べないようになっていたらしいのですが
遠くに行った末娘が帰って来たのが嬉しかったようで
父がびっくりするぐらい、回復し、ご飯を食べてくれていたのです

私は車椅子をネットでオーダーしておいたので
それに母を乗せ、近所を歩き、桜と藤の花を見せることができました


でも帰国後、また食欲が落ちたと聞いています

ちゃんと食べていてもきっと、菌血症は改善されなかったこととは思いますが
そばにいて、ちゃんとご飯を食べてもらえるよう毎日ついていたら
母はもう少し長く元気でいてくれたんじゃないのかと
そう思ってしまいます


今も、もしもそばにいて、毎日声をかけてあげられたら
少し回復してくれるんじゃないかなとか思います

でも、私は一人暮らしで、今、仕事をやめて、帰国してしまう勇気がありません
面倒を見なきゃいけないペットも、小さい子供もいないのに。(今社会人になったばかりの息子はいる)
1度迷惑をかけた職場ですが、辞めますという勇気も無く、
また、無職で物価の高いこの地で生き延びる勇気も無く、

ただここで母を思う私です

離れているので、「私は大丈夫!」という強気なところを見せたくもあり
また両親が心配で、無理をしてでもオンラインで買物をして実家へ送ってきました

母が倒れた日の前日は、父の好物の牛丼と、母の好物のかんきつ類(清美)が到着し
電話をしたところ、とても喜んで、美味しかったと、いつもより長く電話で話をしてくれました。
翌日には、母の日のために頼んでおいたプラム色のカーネーションが届く予定でしたが、
届いてからびっくりしてもらおうと思って、そのことは黙っていました

母は、その夜に倒れ
母の日の花を見てもらうことなく、病院で目を閉じたまま、病気と闘っています



気付いた時に、愛情を表現することの大切さを思います

母の日まで待たずにお花を贈ればよかったなとか
もっと話せばよかったなとか

後悔はあとからあとから出てきますね。。。。



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