ラベル 日本を思う の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 日本を思う の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年3月18日土曜日

3月の日本へ。5か月ぶりにハワイから実家訪問

 前回10月に、親族訪問の短期ビザを取っての実家への帰省でしたが、今回は、ビザ不要、身軽な日本への帰省となりました。

2週間行ってきました。

前回は、ホノルルからジップエアで東京へ飛び、東京からJALで関西へ飛びましたが、今回はそうするのと、ハワイアンでホノルルから関西へ直行するのとでは、たったの150ドルほどしか変わらなかったので、ハワイアンエアラインでの直行便での帰国にしました。

そうしておいてよかったです。

今年に入ってから、2度目のコロナ感染しちゃって、寝込み、そのあと膀胱炎になり、歯医者さん通いも始まり、体力がガタ落ちだったのですよ。

そういうわけで、乗り換えるのもおっくうだったので、直行便にしておいてよかったと思いましたわ。

体力と免疫力あっての旅ですな。


けっこう高かったです。燃料費が上がってきてますけど、1200ドルもしました。
でも、食事は質素になっていて、残念。


空港から実家まで2時間ほどかかるのですが、高齢の父がお寿司を買って待っていてくれました。
伝い歩き、杖をついて歩かないともう体が痛くてたまらないそうなので、感謝しかないです。
あ、一つ、ひっくりかえってますね。


翌日には姉も来てくれ、ミスタードーナツを一人3個づつ買ってきてくれました!
父はストーブでお芋を焼いてくれ、甘くておいしかったです。


桃の節句の後に帰省したので、買い出しへ行くと、桃の花が売られていました。150円!ハワイで桜や梅や桃の枝は26ドルでホールフーズで買えますが、150円とは・・・値段が違いすぎる。


実家の南天も色鮮やか


父が、毎日花びらを掃除しないといけないので、腹立たしいというお花
植木の世話が大変なんだそうだけれど、それで体を無理してでも動かしていることが、体力をつけてくれているのではないかと思います。


遅咲きの梅が満開でした。
父を連れてきてあげたかったけど、体力的に無理とのことで、かえって写真だけ見せてあげた次第です。


近所のお散歩へは連れ出せてよかったです。
車いすに座ってもらって、押して、近所をぐるぐる。
氏神様へも寄ってきました。

母のお墓参りへも行ってきました。なんだかんだと片道3時間ほどかかってしまうので、父は今回、無理だと言い、私一人で行ってきました。

写真だとわかりずらいんですけど、瀬戸内海が見えています。
母の育った瀬戸内海が見える場所というのが、何よりうれしい。お墓を用意してくれた兄に感謝です。


今回も、父と一緒にいるという親孝行目的だったので、お友達と会うのはあきらめ、掃除、洗濯、病院同行、家事、買い出しという帰省でした。
こたつで昼寝を満喫して、よく食べ、太りましたよー

でも疲れました。

帰りの飛行機の朝ごはん。頭が痛かったので、カフェインをとりたくて、コカ・コーラを頼みました。

今回も疲れてハワイへ帰る飛行機の中では熟睡。あっという間にホノルルへ着きました。


楽しみにしていたアイスクリームが出てこなかった、残念です。

ホノルルへ帰ってから、仕事まで数日休むことにしています。

体力が回復してから出勤しないと、けっこうきつい仕事です。体をそんなには動かしませんが、あまりできのよくない脳みそをフル回転させての仕事、ランチ休憩もとれず、食べながら仕事というかんじなのでねえ。

また実家へ帰るので、父には元気で頑張っていてもらいたいです。

今回も、父と一緒にいるという親孝行目的だったので、お友達と会うのはあきらめ、掃除、洗濯、病院同行、家事、買い出しという帰省でした。


ブログランキングに参加しています。
お手数ですがぽちっと応援していただけると嬉しいです!
      にほんブログ村 海外生活ブログへ      にほんブログ村 海外生活ブログ ハワイ情報へ

2022年10月28日金曜日

日本へ帰国・実家と京都伏見稲荷と息子のライブ

 実家の父へ会いに、日本へ帰国です。

今回、コロナの影響で、アメリカ市民となってしまっている私はなかなか帰国できず、今回ようやく、家族に会いに行くという目的の短期の親族訪問のビザを発行してもらって、帰国がかなうことになりました。

(なんとその数週間後にはビザは不要になりましたよ。ビザを取るのが大変だったので、ため息が出ましたー)

実家は関西なのですが、東京とホノルル間を飛んでいるZip Air(ジップエア)が安いので、羽田で乗り換えて、そこからはJALで大阪の伊丹空港へ飛ぶことにしました、

きれいな飛行機だし、フライトアテンドさんたちは日本の方たちなので、なんとも清楚で笑顔がかわいらしい。

ジップエアは安い分、なんにもついてきませんが、スーツケースを預けるパッケージにすると、座席も指定できるし、食事も選んでつけてもらえます。

アツアツでおいしかったわあ。


さて、羽田到着。コンビニで興奮して、コンビニスイーツをいっぱい買ってしまいました。


空港では、今回別便でハワイから日本へやってきた息子とも羽田で待ち合わせです。息子嫁ちゃんも待っていてくれました。

息子は日本で演奏ツアーです。そういうわけで、私は父を訪ねる予定を少しずらして、息子のライブも見に行くことにしての帰国です。

関西の伊丹空港へは夜遅く到着。息子がいてくれて、よかったわ、時間が短く感じます。


都会の明かりですねー。


父が元気そうで何よりです。スーパーで買うお寿司もおいしい。


息子と実家の近くの氏神様へお参り。


すぐに息子はツアーに出てしまい、私と父の生活です。息子のお嫁さんが後に実家へ持ってきてくれた、あんがいっぱいのたい焼きをいただいたり、

兄夫婦からの差し入れの、おいしい葡萄を食べ比べ。

日本のフルーツは世界一甘くておいしいですよね、感激です。


実家では父のそばにいることにしているため、帰国してお友達と会うことはすでにあきらめています。
先の短い父への親孝行と割り切っています。

常に父の部屋にいることにしていて、それ以外は、大掃除、買い出し、料理、洗濯という主婦ですな。

さてさて、この日は、息子の出るライブが京都であったので、父が元気だったら毎月お参りしている伏見稲荷へ、私が代わりにお参りしてから、ライブへ行くことにしました。

父はもう、ここへお参りできる体力も気力もないです。悲しいですが。


京都で暮らしていたころから親しくしてくれているお友達が、つきあってくれました。


冷たいグリーンティーでいっぷく。お友達と一緒だと、疲れ知らずです。笑ってばっかりです。


夕方、息子の出るライブ会場の磔磔へ。たくたくって読むんだそうで、長年京都で暮らしてきたのに、知りませんでした。酒蔵を改造したライブ会場だそうですよ。

なんとも京都らしく、そして、控室は二階だけど天井の高い屋根裏のようで、ものすごく味があって、素晴らしい雰囲気でした。


京都で10年育った息子。幼馴染のお友達が、東京から帰省して、お母さんと一緒に見に来てくれました。
私はシングルマザーでしたが、息子のこの幼馴染とお母さんは、夏休みに働いている私にきづかって、息子を一緒に連れてってくれて、本当に大変お世話になった方たちです。

わざわざ来てくれたことが嬉しくて、涙ぐんでしまいましたが、息子の幼馴染のお母さんも、息子を見て涙ぐんでくださって、
その涙を見たら、ありがたくてありがたくて、ほんとうに神様みたいな人たちだなあと思いました。


私のビザも大変でしたけど、息子のところのマネージャーさんも、日本行のビザが下りず、今回日本ツアーへは来ることができなかったそうです。それも数日前にダメとわかって、がっかりだった様子。

そしてその数週間後にはもうビザいらずになったのでね、ほんと、この時期、いろいろありましたね。ま、話のネタになる思い出になりますが。

さてその数日後。
もうハワイへ戻る日です。これは羽田で撮った夕方の空。

チェックイン時に振り返ると、同じ職場の同僚の方が!
しかし、パンデミックだったため、会うのは2020年ぶり!

もうすぐハワイから日本へ異動するのだということですが、いったん日本へきて、またハワイへ戻り、それから日本へ異動ということで、ここで会えてよかったです。


毎回帰りの便では、疲れて熟睡。あっというまにホノルルへ着きます。

また父に会いに帰国しようと思います。


ブログランキングに参加しています。
お手数ですがぽちっと応援していただけると嬉しいです!
      にほんブログ村 海外生活ブログへ      にほんブログ村 海外生活ブログ ハワイ情報へ

2019年7月15日月曜日

大阪市城東区にある諏訪神社(すわじんじゃ)のお祭り 

実家の近所の氏神様、諏訪神社の夏祭りでした
大雨でしたが、だんじりが近くをを通ったので、撮りました



小さいながらもりっぱなだんじりです。

実は、子供の頃からこの神社、そんなにたいしたものとは思っていませんでしたが

今回実家で兄に会い、歴史好きの兄から聞いたところによると
この大阪市城東区にある諏訪神社の創設は836年という遠い遠い昔



菅原道真が筑紫へ左遷される前に、河内道明寺にいらっしゃるおば君に会おうと
その道中、こちらの神社へ立ち寄られ、参拝。
腰掛けられたという石もあります。



私と兄が、夏祭りを前に、どうしてこのような話になったのかというと、
この神社の前の道は放出街道(はなてんかいどう)と言うのですが、
私の両親も兄も「させんどう」といつも呼ぶのです。
で、「させんどうというのは、どういう字で、どうしてそう呼ぶのか」と聞いたことからこの話を兄から教わることになりました。

今では放出街道に名称が改められたけれども、ずっとその道は「させんどう」だったとのことで、
昔はこの道、遠く高野山まで続くルート3つのうちの1本だったそうです

さて、諏訪神社手水鉢は、菅公の子孫の平直貞が、ご先祖様の縁をしのんで寄与されたものだそうです。

そして安土桃山時代には、豊臣秀吉が天守閣より参拝に来られ、後に狛犬を寄与されたそう。

中にあるお百度石も、左専道不動の門前にあったものだそうです。

なんだかスゴイじゃないの、諏訪神社!
今まで全然知らなかった。興味も無く、ただ、お参りしていました。。。
反省。

子供の頃の興味はもっぱらお祭りの日に出る夜店でした。
今見るとレトロで素敵だし、
こういう文化のあるところで育ったことを嬉しく思います。

金魚すくい


境内の金魚すくいはなぜかものすごい人だかり


のぞいてみました


スマートボール
レトロチックでいい感じ


夜店を通り抜け、参拝して帰宅しました。

常に夏はブラックアウト(休みを取れない期間)に指定されているので
(夏は観光業で成り立つハワイ、たいていの職場はそうなっています)
夏に休みを取って日本へ帰ることはなかなかかないません。
今回、母の入院で、仕事を辞めて帰国しよう!と決めたことで、
久しぶりに夜店やだんじりを見て、お囃子を聞くことができました。



2019年6月23日日曜日

アメリカシチズン・USパスポートが手元になかったのであわてた話

アメリカシチズンになってから
日本への帰国はアメリカのパスポートを使い、最長3ヶ月のビザなしでの日本での滞在となっています。

さて、今回、母が倒れた、延命治療はしない、家族や親類が集まっている、と聞き、急遽日本へ帰ろうとした先月のこと
航空券をオンラインで購入しようとあせっていた時に気付いたのが

パスポートが無い!

でした。

USパスポートですが、発行方法はこちらのUS政府のサイトに書いてありますが
https://travel.state.gov/content/travel/en/passports.html

手元に所有しているパスポートパスポート代金の小切手リニューアル申込用紙パスポート用の写真
以上を郵送すれば、新しいパスポートを自宅へ送ってくれます。
日本のようにパスポートセンターで本人が受け取る、というものではなくて、
郵送されてくる。しかも普通郵便で。
提出もたいてい取り扱いをしている郵便局という、厳しくするところがなんだか重点が違う感じのアメリカです。

リニューアルのパスポート、出来上がって郵送されてくるまで、6-8週間かかります

プラス60ドルで、2-3週間まで短縮できます。


理由があって地元のパスポート・エージェンシー・センターでの申請の場合、このプラス60ドルで大幅に短縮できますが、今回これのお世話になりました。


緊急発行の場合は通常2ケースあるようです。

1)生死にかかわる問題の場合
  -72時間以内に発行してくれる
  -必要なこと:
   パスポートセンターに電話で相談&地元のパスポートセンターへ予約をいれてもらう
   https://travel.state.gov/content/travel/en/passports/apply-renew-passport/emergencies.html
   こちらに番号等、記載されてあります
  -医師・病院による生死にかかわる緊急であることを書いた手紙&英文訳
  -航空券等のアイテナリー

2)その他の急ぎ
  -2-3週間以内に発行してくれる
  -必要なこと:
  -パスポート・エージェンシー・センターの予約を取る
  -航空券等のアイテナリー

私は今回1)の生死にかかわる問題での緊急発行を希望で、
実家から母のことを聞いたのが日本時間の金曜日。
日本の病院でのこの手のレターは週末は発行してもらえず、また、病院によっては発行まで1ヶ月かかるとのこと(生死にかかわる手紙なのに?!実際のところはわかりませんが。)
ハワイ時間の木曜日の真夜中過ぎに、パスポート緊急発行のページに記載の電話にかけ相談したところ、
翌日金曜日の朝に地元のパスポートセンターの予約を入れてくれ、
「航空券を先に購入して持参し、事情を話すよう」言ってくれ、
また、土日がパスポートセンターの休みになるため、発行は月曜日以後になるだろうと教えてくれました。

そこで月曜日の夕方の便の航空券を購入し、
翌日の金曜日に地元のパスポートセンターへ、写真、小切手、航空券のアイテナリーを持っていって事情を説明。

別用紙に記入後、エクスプレス代60ドルを追加で払うだけで、了承してもらえ
「月曜日の午前10時以後に出来ているはずだから、ここに取りにきてちょうだい」と言ってもらえました。

ほっと一安心。月曜日の10時過ぎにパスポートを受け取り、そのまま空港へ向かった次第です。
本当に72時間で発行してもらえた形です。



最初は、医師による生死の緊急性が書かれたレターを持っていないことで、お役所仕事なので認められないのではとほとんどあきらめていたのですが
心ある対応をしてもらい、本当に助かりました。

母は緊急事態を脱したので、私は10日後に一旦ハワイへ戻りましたが
明日から3ヶ月、日本へ滞在し、ICUにいる母を見舞いながら、実家の父と家のことをしていこうと思ってますー。

このブログ、
私のように、USパスポートのみ所有しており、手元に無いとか期限が切れてるまたは切れそう、という方のお役にたてばいいのですがー。

とにかく、どうしようという時は、

1)上記リンクのパスポート緊急発行希望の連絡先に電話をして、地元のパスポート・エージェンシー・センターへ予約を入れてもらい
2)航空券を買い
3)パスポート用の写真費用(パスポート代金は小切手またはキャッシュのみ。追加のエクスプレス代金はカード払いが可能。)航空券のアイテナリーを持って行く!

という手順になります。

この数日、数時間も、瀬戸際だと足踏みしたいぐらいイライラしたり切なくなったりしますが、深呼吸して乗り切ってください。


余談ですが
「手元にリニューアルされたパスポートが届いた場合は、そちらは返送してください」と言われました。
しかし、どこかの時点でそれは発行されなかったか、回収されたようで、
手元には旧パスポートだけが、パンチャーで穴が開いた状態で戻ってきました。


2019年6月12日水曜日

無職になる・ハワイの高い家賃が心配ですが、辞職願を出しました

ハワイは観光業で成り立っている島なので、
これから夏休みに向けて、どんどん忙しくなる時期ですが、
その時期に、言いだすのは、心臓がバクバクするぐらい、緊張して、
申し訳なくて、悩んで、勇気の要ることだったのですが、
上司へ 2 weeks notice(トゥー・ウィークス・ノーティス=2週間で辞めるという辞職願い)を出しました

こんな時期に辞めると言い出すのはものすごく自分勝手でわがままで、自己中心的な気持ちでいっぱいで
罪悪感を感じながらも自我を通す自分
それも嫌だし
ジレンマで心が痛い

しかしながら、同僚の皆様、上司の皆様は、忙しくなるから舌打ちしたいだろうに
それを上回る心の大きさを持って、正しい決断をした!となぐさめてくれる
大人の対応に、心を救われるこのところの毎日です


辞職願を受け入れてくれたので、
元々7月に日本へ帰るつもりで買っていた航空券の日付を変えました。

6月下旬には、日本へ帰り、
入院して集中治療室で頑張っている母と、
実家で一人になってしまった父の世話をしたいと思っています。

高いハワイの家賃をいつまで払い続けられるのかが、
日本へ滞在できる期間のキーともなりそうです

まあ、人生これまで、どうにかなってきたので、
なんとかなるなる、と、思うことにして
あまり深く、不安になるようなことは、考えないでいよう

なぜか手違いで8連勤だったのですが、本日久しぶりのお休み!
昨日は疲れてよく寝ました。
夜中に目が覚めたら、服のまま、化粧したまま、歯磨きしてない、という
いつものパターンで
「ああ、寒いー」と目が覚めたのですが
もう動くのもイヤなぐらい重い体を引きずるようにして、がんばって浴槽を洗い、お湯をためて、日本から買って帰ってきた入浴剤を入れて
暑いお湯に浸かってから眠ったので
今朝は疲れが取れて、いい休日をスタートできました

今日は、片付けと洗濯、日本へ行く用意を進めたいと思います。


2019年6月1日土曜日

京都の伏見稲荷へお参り:五穀豊穣、商売繁盛、万病平癒、学業達成、縁結びなどで知られる神様

先日帰国の際、母の病院の面会が午後なので、
ハワイへ戻る日の前日の午前中に、京都の伏見稲荷(ふしみいなり)へ参拝に行ってきました。



京都伏見稲荷前には、JR京阪電車が止まります。

伏見さんにあるお稲荷さんは、全国3万の稲荷の総本山
稲荷山全体が神域となっています。

山全体の地図です。伏見稲荷のサイトからお借りしました。

私の子供の頃は、本堂を過ぎると人がまばらになり、本当におきつねさんが現れそうなほど、淋しい、小川の水の音やカラスの鳴き声、猫がいるようなお山でしたが、

ここのところ、外国人の選ぶ日本の観光スポットナンバー1に選ばれているそうです。
外国人にはとてもインパクトのある日本らしい場所だと思います。拝観料が無いのも魅力なのでは。
また、修学旅行生も訪れることから、今日はお正月か、と思うほどの混みようです。

鳥居(とりい)は信仰でお納めするものですが、この鳥居、雨で木が腐るため、長持ちしないそうで、けっこう頻繁に入れ替わっているそうですが、
全部で1万も立てられていて、
また、お納めしたい方は大勢おられ、順番待ちなのだそうです。

朱色の鳥居はインスタ栄えすることもあり、写真を撮る方若い方たちでにぎわっています。
若い方たちが世界中からお見えになっていて、お稲荷さんも驚いていらっしゃることでしょう。

伏見稲荷は五穀豊穣、商売繁盛などで知られますが、学業、安産、縁結び、病気平癒など、様々な願いを叶えてくださいます。

様々な見所、といっては不謹慎かもしれませんが、たくさんあります。

りっぱな桜門重要文化財に指定されています。
最初にお賽銭を入れてお参りする場所の右奥に、おもかる石と呼ばれる石が2つあります。
今ではたくさんの方が並んで順番待ちをしているので、すぐにわかります。

先にお願い事をし、そしてそのおもかる石を持ち上げます。思ったより軽ければ、願い事が叶い、重ければ、叶わないという、神様からのお答えが得られるとあり、とても人気があります。

鳥居をくぐっていくと、途中、小ぶりの鳥居が左右に分かれている分岐点が出てきますが、
これが、千本鳥居(せんぼんとりい)と呼ばれるものです。
今では右側通行と張り紙されていますが、昔は人一人歩いておらず、うちでは左側を通ってお参りしていました。
なぜ右側になったのか、よくわかりません。ずっと昔は左でした。
なので、理由は恐らく、人が多く訪れ、そこでどちらへ行ったらいいのか迷い混雑する、というのを避けるためだけなのではないかなと思います。

千本鳥居は千本あるのではなく、たくさんの鳥居の比ゆです。わずかな距離で、すぐ同じ場所に出るようになっています。
ここが一番、観光の方たちでごったがえしており、非常に混むあたりです。恐らく鳥居の重なり具合が密で、写真栄えすることが理由の1つと思います。

上にあがっていくほど、人は少なくなっていきます。ここで写真に人が写りこむのがイヤな方は、もう少しがんばって上まで行かれることをお勧めします。

上には景色の良い、京都市内を一望できるところに休憩できるお店があり、飲み物やお食事もあります。
この一番景色の良いところから右側の道へ上がっていくと、ぐるっとまわって同じ場所へ戻ってくることができます。

少し下がって、三つ辻で左へ行くと、裏道です。滝修行の、まさしく稲荷山といった厳かな場所もあり、
さらに下るとにぎやかさをとりもどし、
眼の神様や、足腰の神様縁結びの神様などもお祭りされています。


私は母の病気平癒をお願いしたくこのたびお参りしましたが、ここにお参りへ来たのは理由がありました。

実は私の両親は全国3万とあるお稲荷さんの1つのお宮を営んでいます。
営むという言い方は不適切かもしれませんが、小さな瀬戸内海の島にある村の神様として神社があり、それがうち、という感じです。

なので、総本山の伏見稲荷には小さな頃から毎月、お参りにあがり、
稲荷山を一巡していました。
稲荷山には、鳥居が道なりに続いていますが、わき道にたくさんの、お塚があります。
お塚は石でできた神棚のようなものです。
その数1万以上だそうですが、
小さな頃から両親に連れられ、その中の3つのお塚にお参りし、
おあげさんやお赤飯、お酒、卵などをお供えし、ロウソクをともし、般若心経を唱えていました

たくさんあるなかのなぜそれらの3つのお塚なのかは、私は知りません。

また今回初めて知りました。お稲荷様は神様なのに、なぜ般若心経なのか。
それは神仏分離という神道と仏教を分けるという令が出るよりずっと以前から信仰されてきた神様だからなのだそうです

なのでお稲荷さんは、神道と仏教の性質を兼ね備えた神様なのだそうです。

稲荷山は全体が神域とされていますが、不思議な体験をたびたびする場所でもあります。


さて、前回、私は、足腰の弱くなった両親に代わり、一人で稲荷山へ参りましたが、
どうしても、3つのお塚にたどり着けませんでした。
慣れ親しんでいたつもりが、たどり着けたのは、メインにお参りしてきた1つのお塚、日の神様だけでした。

ところが、今回、息子を伴ってお参りしたところ、簡単に3つの塚へたどり着くことができました。
良かった。
母の病気平癒と父の健康のことなど、お願いしてきました。

私はさほど信心深い者ではありませんが、
手を合わせてお祈りすると、おまかせできた気持ちになり、心の負担が楽になるように思います。
あとはよろしくお願いしますという感じ。


2019年5月27日月曜日

ハワイ暮らし、日本の両親を思う・・・

昨年暮れから救急車で運ばれることが頻繁に起こるようになった母
血液検査の結果は良好で何も原因が見つからず

そしてとうとう脳卒中を起こして倒れ、
つまりを取り除く手術でクモ膜下出血を起こし、こん睡状態となり
検査の結果、3年ほど前に手術して取り替えた心臓の人工弁に細菌が繁殖しており
それが心臓のポンプ運動により全身にまわり、菌血症を起こしていること
それが脳へ飛び、脳卒中を起こしたことがわかりました

細菌を取り除く方法としては手術になるけれど、
心臓の手術を再びするには(何しろ肋骨を切除して行うので)高齢者には耐えられないだろうということで、
抗生物質を1ヶ月半投与していくことになりました

しかし体内に人工のものがあり、そこに菌が繁殖を始めた場合
なかなか効果が得られないそうで、
実際、母は集中治療室に入ってもう20日ほど経ちますが、
毎日38度を越える高熱を出し、解熱剤と氷で熱を下げている状態です

倒れて入院となったとき、家族は、海外に住む娘(私)に知らせるべきか、
どう知らせるべきか、悩んだそうです
最初は、「大事をとって入院した」とだけ聞かされていましたが
こん睡状態が続き、延命治療はしないと家族で決定を下した時に、「実は、倒れた」と知らされました

ハワイで私は仕事をしているし、繁忙期。
ぎりぎりの人数で仕事をしている職場のため、1人も休めない状態であるにもかかわらず
もう何も考えられず、わびて、飛んで帰りました

病院にいる母は、鼻から栄養をチューブで取り入れながら、
肩から心臓へ直接点滴と薬を注入しており、
心電図用のワイヤや、脈のワイヤ、尿管などがつながれていました

私とわかってうなずいてくれたので、回復してくれるのかと嬉しくて泣きましたが

毎日、高熱は出るし、手足はうまく排出されない水分が皮膚にたまり、ぷよぷよの水風船のように張ってしまっていて
手をなでてあげると、皮膚がうすくめくれて、水分がにじみでてくるありさまです

病院の先生が脳の断面図、心臓の動画を見せながら、時間の経過と検査結果を個別に話してくれました。

「また菌が脳へ飛んで脳梗塞を起こすと、もうダメと思ってください」と言われたものの
状態は落ち着いている(危篤ではない)
ということで

職場と約束をした日にハワイへ戻り、仕事を再開していますが
心配でしかたありません

仕事中は、考える暇が無く、正気でいられますが
帰宅の途につき、車に乗り、自分1人の空間にいるようになると、どっと涙が出ます。

私だけでなく、海外で暮らす皆様、同じく通る道と思いますし
海外在住者だけでなく、同じ日本でも遠くで暮らす方は、同じ経験をされることと思います
辛いですね
どうすればいいのか。。。

私の実家は同じく高齢の父が今は一人となり
隣の都道府県に暮らす姉が休みに父と病院の母を見舞い、
離れた都道府県に暮らす兄が、同じく休みに父と病院の母を見舞ってくれています

私が前回帰国したのは、この1ヶ月前の4月でした。

昨年暮れから何度か救急車で運ばれていると今年1月に知らされ
すぐに帰国したかったのですが、
仕事をぎりぎりの人数で回している職場のため、休みが取れるのが4月でした
やっと4月になり、帰国したとき、
母はすでに弱って食事を食べないようになっていたらしいのですが
遠くに行った末娘が帰って来たのが嬉しかったようで
父がびっくりするぐらい、回復し、ご飯を食べてくれていたのです

私は車椅子をネットでオーダーしておいたので
それに母を乗せ、近所を歩き、桜と藤の花を見せることができました


でも帰国後、また食欲が落ちたと聞いています

ちゃんと食べていてもきっと、菌血症は改善されなかったこととは思いますが
そばにいて、ちゃんとご飯を食べてもらえるよう毎日ついていたら
母はもう少し長く元気でいてくれたんじゃないのかと
そう思ってしまいます


今も、もしもそばにいて、毎日声をかけてあげられたら
少し回復してくれるんじゃないかなとか思います

でも、私は一人暮らしで、今、仕事をやめて、帰国してしまう勇気がありません
面倒を見なきゃいけないペットも、小さい子供もいないのに。(今社会人になったばかりの息子はいる)
1度迷惑をかけた職場ですが、辞めますという勇気も無く、
また、無職で物価の高いこの地で生き延びる勇気も無く、

ただここで母を思う私です

離れているので、「私は大丈夫!」という強気なところを見せたくもあり
また両親が心配で、無理をしてでもオンラインで買物をして実家へ送ってきました

母が倒れた日の前日は、父の好物の牛丼と、母の好物のかんきつ類(清美)が到着し
電話をしたところ、とても喜んで、美味しかったと、いつもより長く電話で話をしてくれました。
翌日には、母の日のために頼んでおいたプラム色のカーネーションが届く予定でしたが、
届いてからびっくりしてもらおうと思って、そのことは黙っていました

母は、その夜に倒れ
母の日の花を見てもらうことなく、病院で目を閉じたまま、病気と闘っています



気付いた時に、愛情を表現することの大切さを思います

母の日まで待たずにお花を贈ればよかったなとか
もっと話せばよかったなとか

後悔はあとからあとから出てきますね。。。。



ラベル