ハワイへ戻る日の前日の午前中に、京都の伏見稲荷(ふしみいなり)へ参拝に行ってきました。
京都伏見稲荷前には、JRと京阪電車が止まります。
伏見さんにあるお稲荷さんは、全国3万の稲荷の総本山。
稲荷山全体が神域となっています。
山全体の地図です。伏見稲荷のサイトからお借りしました。
ここのところ、外国人の選ぶ日本の観光スポットナンバー1に選ばれているそうです。
外国人にはとてもインパクトのある日本らしい場所だと思います。拝観料が無いのも魅力なのでは。
また、修学旅行生も訪れることから、今日はお正月か、と思うほどの混みようです。
鳥居(とりい)は信仰でお納めするものですが、この鳥居、雨で木が腐るため、長持ちしないそうで、けっこう頻繁に入れ替わっているそうですが、
全部で1万も立てられていて、
また、お納めしたい方は大勢おられ、順番待ちなのだそうです。
朱色の鳥居はインスタ栄えすることもあり、写真を撮る方若い方たちでにぎわっています。
若い方たちが世界中からお見えになっていて、お稲荷さんも驚いていらっしゃることでしょう。
伏見稲荷は五穀豊穣、商売繁盛などで知られますが、学業、安産、縁結び、病気平癒など、様々な願いを叶えてくださいます。
様々な見所、といっては不謹慎かもしれませんが、たくさんあります。
りっぱな桜門は重要文化財に指定されています。
最初にお賽銭を入れてお参りする場所の右奥に、おもかる石と呼ばれる石が2つあります。
今ではたくさんの方が並んで順番待ちをしているので、すぐにわかります。
先にお願い事をし、そしてそのおもかる石を持ち上げます。思ったより軽ければ、願い事が叶い、重ければ、叶わないという、神様からのお答えが得られるとあり、とても人気があります。
鳥居をくぐっていくと、途中、小ぶりの鳥居が左右に分かれている分岐点が出てきますが、
これが、千本鳥居(せんぼんとりい)と呼ばれるものです。
今では右側通行と張り紙されていますが、昔は人一人歩いておらず、うちでは左側を通ってお参りしていました。
なぜ右側になったのか、よくわかりません。ずっと昔は左でした。
なので、理由は恐らく、人が多く訪れ、そこでどちらへ行ったらいいのか迷い混雑する、というのを避けるためだけなのではないかなと思います。
千本鳥居は千本あるのではなく、たくさんの鳥居の比ゆです。わずかな距離で、すぐ同じ場所に出るようになっています。
ここが一番、観光の方たちでごったがえしており、非常に混むあたりです。恐らく鳥居の重なり具合が密で、写真栄えすることが理由の1つと思います。
上にあがっていくほど、人は少なくなっていきます。ここで写真に人が写りこむのがイヤな方は、もう少しがんばって上まで行かれることをお勧めします。
上には景色の良い、京都市内を一望できるところに休憩できるお店があり、飲み物やお食事もあります。
この一番景色の良いところから右側の道へ上がっていくと、ぐるっとまわって同じ場所へ戻ってくることができます。
少し下がって、三つ辻で左へ行くと、裏道です。滝修行の、まさしく稲荷山といった厳かな場所もあり、
さらに下るとにぎやかさをとりもどし、
眼の神様や、足腰の神様、縁結びの神様などもお祭りされています。
私は母の病気平癒をお願いしたくこのたびお参りしましたが、ここにお参りへ来たのは理由がありました。
実は私の両親は全国3万とあるお稲荷さんの1つのお宮を営んでいます。
営むという言い方は不適切かもしれませんが、小さな瀬戸内海の島にある村の神様として神社があり、それがうち、という感じです。
なので、総本山の伏見稲荷には小さな頃から毎月、お参りにあがり、
稲荷山を一巡していました。
稲荷山には、鳥居が道なりに続いていますが、わき道にたくさんの、お塚があります。
お塚は石でできた神棚のようなものです。
その数1万以上だそうですが、
小さな頃から両親に連れられ、その中の3つのお塚にお参りし、
おあげさんやお赤飯、お酒、卵などをお供えし、ロウソクをともし、般若心経を唱えていました
たくさんあるなかのなぜそれらの3つのお塚なのかは、私は知りません。
また今回初めて知りました。お稲荷様は神様なのに、なぜ般若心経なのか。
それは神仏分離という神道と仏教を分けるという令が出るよりずっと以前から信仰されてきた神様だからなのだそうです
なのでお稲荷さんは、神道と仏教の性質を兼ね備えた神様なのだそうです。
稲荷山は全体が神域とされていますが、不思議な体験をたびたびする場所でもあります。
さて、前回、私は、足腰の弱くなった両親に代わり、一人で稲荷山へ参りましたが、
どうしても、3つのお塚にたどり着けませんでした。
慣れ親しんでいたつもりが、たどり着けたのは、メインにお参りしてきた1つのお塚、日の神様だけでした。
ところが、今回、息子を伴ってお参りしたところ、簡単に3つの塚へたどり着くことができました。
良かった。
母の病気平癒と父の健康のことなど、お願いしてきました。
私はさほど信心深い者ではありませんが、
手を合わせてお祈りすると、おまかせできた気持ちになり、心の負担が楽になるように思います。
あとはよろしくお願いしますという感じ。